まつげエクステ歴15年以上
【資格】
リタアカデミー北九州校 認定講師
美容師国家資格
松風エデュケーター
松風インストラクター
アイビューティシャンインストラクター
日本エステティック業協会認定上級エステティシャン
美容ライト脱毛
一般社団法人日本眠活眠育協会アドバイザー
ブロウティスト検定コース修了 ★★star資格保持
福岡美容専門学校 まつげエクステ講師
こんにちは。
北九州市小倉北区のまつげエクステサロン「EYECON(アイコン)」オーナーの田中潤希です。
こちらのページでは、
私が当サロンを開くまでのストーリー、
また、「私が大切にしている想い」をお伝えしております。
最後までお読みいただければ幸いです。
■もともとは内向的な性格でした。
今でこそ、
「田中さんの人柄が好きでリピートしています」
「毎回、田中さんと話すのが楽しいです」
とお客様におっしゃっていただける私ですが、もともとはずっと内向的な性格でした。
人と向き合うよりも絵を描くことが好き。そんな私は高校卒業後、美大(京都精華大学)に進んで人物画に没頭する日々を送ります。
しかし、絵で収入を得て生活していくというのはたやすいことではありません。
その現実に、私は将来が見えなくなり、その結論を出せないまま、地元・北九州で母が経営しているエステサロンに勤務することになりました。
■接客は当然苦手。そんな私が救われた「まつげエクステの導入」
母は今も現役で、30年以上美容業界に携わっています。しかし、その姿をずっと見てきても、私はこの美容に興味を持つことがありませんでした。
それは、自分の顔にコンプレックスがあったことと無関係ではなかったと思います。
メイクには「彩るメイク」と「コンプレックスを消すメイク」がありますが、私のメイクは後者のほうばかり。そんな私には「美の追求」というのは全く考えられないことでした。
しかも、エステサロンには当然ながら、接客があります。
時にはグレードの高いコースをおすすめするようなセールスもします。
今まで人と向き合ったことがほとんどなく、目が合っただけであがってしまうあがり症の私には、荷が重すぎます(苦笑)。
それでも、将来が見えなくなった当時の私には、母のエステサロンに入る以外の道を探すことができず、気が進まないながらも働き始めました。
接客やセールスはやはり苦手で、お客様とのコミュニケーションの取れなさを思い知るばかりでした。
言ったほうが良かったことを言わなかったり、思っていることをうまく言語化して伝えられなかったり…。
「もっとこうしたほうがよかったんじゃないか」と思いながらも、そもそも人と向き合うのが苦手ということがあり、なかなか改善できずにストレスをためていた、ある日。
サロンにまつげエクステが導入されることが決まりました。
当時は2007年でしたので、まだ美容師免許が必要とされていなかった頃です。
この出来事が、私を救ってくれて、そして私の人生を変えてくれることになります。
■美大の経験が意外なところで生かせることに
さっそくエクステができる先輩に習いつつ、自分でも先輩の施術を受けてみたのですが、コンプレックスのあった顔をいい感じに変えてくれるものではありませんでした。
先輩は数名いましたが、誰に付けてもらっても満足できず…。
なので、私自身は付けまつげをして、割り切った気持ちでお客様にまつげエクステの施術を行なっていました。
そこで、私はあることに気づきます。
エクステの施術中は、お客様は目を閉じている。
しかも、施術中は話さなくていい。
目が合うだけであがってしまう私にとって、これはとても救いでした。
そして、もう一つ気がついたこと。
これは先輩に言われて気づかされたことなのですが、私にはエクステをきれいに付けるセンスがあったようなのです。
確かに、デザイニングは得意でした。美大でずっと人物画を描いて磨かれた審美眼が、こんなところで生かされることになるとは思ってもみませんでした。
おかげで、いつしか私はエステよりもまつげエクステを担当することが多くなっていました。得意なことができる上に、お客様とコミュニケーションを取る度合いも減って、私としては願ったりかなったりでした。
それとともに、お客様が鏡を見て、仕上がりに満足していただけた時、喜びや達成感を感じている自分がいました。
「この仕事が少しずつ楽しくなってきたかも」
ところが、そんな時にある出来事が起こりました。
■それまでの私を一変させた、京都の先生との出会い
当時、まつげエクステは、まだ「痛くて当たり前」というような風潮があった時代でした。
しかし、施術したお客様がアレルギー反応を起こした事例などが出るようになり、安全性の確保が業界全体の緊急課題となりました。
その流れで、2008年に厚生労働省が「美容師免許の取得を必須にする」通達を出し、そして教育制度や資格の整備などを目的として、まつげエクステ関係の協会が立ち上がるなど、環境が整備されていくことになります。
アレルギー反応の事例を知って、私は施術が怖くなってしまいました。
目元というデリケートな部分に施術するのだという意識はありましたが、お客様の目にトラブルが起こった事例を改めて知らされると、危険と隣り合わせの仕事をしていることが怖くなり、夜も眠れなくなったのです。
それでも、この仕事が好きになりかけていた私には、辞めるという選択肢はありませんでした。
「ちゃんと技術を習いたい」
そう思ってさまざまな講習会に行くものの、なかなか満足できなかったため、しっかり教えてくれるスクールを必死に探し始めました。
当時はまだスクールがほとんどなかった頃です。
私がたどり着いたのは、美大時代を過ごした京都にあるスクールでした。
北九州から京都に通うのは大変でしたが、それだけの価値は十分すぎるほどありました。
一番大きかったのは、スクールの先生にエクステを付けてもらったことです。
「全然違う!」
あの時の衝撃は今でも忘れられません。
それまで、誰にエクステを付けてもらっても満足できずに付けまつげで過ごしてきた私はなんだったんだろう。それほど、先生の施術による仕上がりは次元が違っていました。
自分の目が見違えるくらいキレイになるということは、今まで考えたこともなかった。
それが今、実現している。
本当に嬉しくて仕方ありませんでした。
そしてこの瞬間、私は生まれ変わりました。
自分はまつげエクステをしても似合わない人だと思っていたけど、それは単に技術の問題だっただけ。
そのことがわかった私は、
「もっと先生の技術を吸収したい!
そして、『エクステをしてもいい感じにならない』と敬遠している、以前の私のような方の救いになりたい!」
と強く思うようになりました。
ここからです。まつげエクステが楽しくなったのは。
そしていつしか、人と向き合うのが苦手で目が合うだけであがってしまっていた私は、先生と向き合い、先生の目を見て明るく話せるようになっていました。
キレイになると、性格まで変わる。
このことを、私はこの時、身をもって体験できました。
■だからこそ、お客様に心から笑顔になっていただけることが
私の生きがいです。
こうして、私の内向的な性格はまつげエクステのおかげで積極的・社交的な性格に生まれ変わり、人柄や接客でリピートしていただけるまでになりました。
そして、2014年、私は母のエステサロンから独立し、まつげエクステ専門サロン「EYECON」を立ち上げて現在に至ります。
まつげエクステには、ここまで人を変えるパワーがあります。
その体験を、今度はお客様にしていただきたい。
鏡を見て感動していただき、心からの笑顔になっていただきたい。
そんな想いで、私はこれからも、お客様と向き合い、安全・安心の施術と接客で、「ナチュラル志向の大人の女性に選ばれる、自然で美しいエクステ」を提供してまいりたいと思います。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。